昨日は、横浜駅から和田町まで歩きました。
途中聴いたのは1914年生まれの早坂文雄の作品。
仙台に生まれた彼は、家の事情で北海道に移った。
父は家族を捨てて大阪へ行き、
母は心労のため、彼が17歳の時に亡くなった。
大変な家庭環境の中、彼は中学卒業後働いた。
1932年には伊福部昭などと知り合い、
そのあたりから作曲に興味を持つようになった。
その後札幌のキリスト教会のオルガニストとなった彼は、
1936年に作曲家として注目されるようになる。
ラジオ番組で彼の管弦楽曲が取り上げられ、
映画音楽の作曲家として起用されるようになる。
左方の舞と右方の舞は1941年に作曲された。
松平と同じように曲名は雅楽から由来している。
ただ松平のように舞楽曲を主題するのではなく、
雅楽の左舞と右舞の様式を意識しながら
日本的な主題を使い、展開していく。
その曲の途中にみられるリズムの扱いは、
プロコフィエフのバレエ音楽「ロミオとジュリエット」
のところに影響を受けたのではないかと思ったりもする。
序曲ニ調は、1939年に作曲されている。
冒頭から小太鼓が叩くリズミに乗って行進曲風に展開されている主題は、
日本的でありながらも、その音楽は印象主義的である。
ラヴェルのボレロのように主題は繰り返されながら、
徐々に管弦楽の厚みを増しながら展開されていく。
最後の行進曲風に展開しつつ、勢いを増していくあたりは、
一瞬ヒナステラの「エスタンシア」を感じされる。
左方の舞と右方の舞のCDの解説(文章は片山杜秀氏)では、
アジア諸方の合一化という点では、このような戦時下の曲は、
音楽版「大東亜共栄圏」を具現化していると指摘している。
その辺は音楽そのものを聴いてすぐに私の頭の中では直結しないが、
とても理想主義的な音楽であるという聴いた印象からすると、
そのなのかもしれないなあと思うのである。