2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。 途中聴いたのは1882年セビーリャ生まれの スペインの作曲家トゥリーナの交響曲。 彼の略歴は以前管弦楽曲編で触れたのでここでは省略する。 セビーリャ交響曲作品23は、1920年に作曲された交響曲で、 同年9月11日…
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。 途中聴いたのは1752年ローマ生まれの イタリアの作曲家クレメンティの交響曲。 彼の略歴は以前管弦楽曲編で触れたのでここでは省略する。 クレメンティの交響曲は第4番のみが、 ほぼ完全な形で残っているものの、多く…
昨日は西谷駅から二俣川まで歩きました。 途中聴いたのは1760年生まれのケルビーニの交響曲。 今日からはイタリア・スペイン・ポルトガル編に入る。 ケルビーニの略歴は以前簡単に触れたので省略する。 交響曲ニ長調は、ロンドン・フィルハーモニー協会の依…
昨日は横浜から和田町駅まで歩きました。 途中聴いたのは1927年ニューヨーク生まれの ロベルト・ディ・ドメニカの交響曲。 シェーンベルクやベルクの弟子であったヨゼフ・シュミットに 1956年から1962年の間師事したようで、 この時期の1961年に彼が唯一残し…
昨日は二俣川から鎌倉駅まで歩きました。 緑園都市から岡津に入り、瀬谷・柏尾道路に入り、 不動坂を越えて国道一号線に合流し、 そのまま戸塚方面に向かい、柏尾川に並行する道に入り、 東海道線に並行する県道を大船駅方面に向かう。 笠間十字路に出ると左…
昨日は横浜から和田町まで歩きました。 途中聴いたのは1923年生まれのローレムの交響曲。 略歴については器楽曲・室内楽曲編で触れたので省略する。 交響曲第1番は1948年に第一楽章の作曲にとりかかり、 1950年には完成した作品で、翌51年にはウィーンで、 …
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。 途中聴いたのは1896年生まれのハンソンの交響曲。 彼の略歴は以前管弦楽編で簡単に触れたので、 ここでは省略するが、7つの交響曲があり、 そのなかでも有名な交響曲は第2番である。 交響曲第2番「ロマンティック」…
昨日は横浜から和田町まで歩きました。 途中聴いたのは1829年生まれのゴットシャルクの交響曲。 彼はニューオリンズで生まれ、 父はロンドン出身のユダヤ商人だったようだ。 幼い頃からピアノの才能があった彼は、 13歳のときに勉強のためにパリに渡り、 パ…
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。 途中聴いたのは1900年生まれのアンタイルの交響曲。 CDの解説によるとニュージャージー州のトレントンで、 7月8日小さな靴屋の息子として生まれた彼は、 16歳でコンスタンティン・フォン・ステルンベルクに師…
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。 途中聴いたのは1876年生まれのカーペンターの交響曲第1番。 彼の略歴については以前ふれたので省略するが、 彼が作曲した交響曲について触れている話は少ない。 音楽界の時流に合わなかったことや、 日曜作曲家であっ…
昨日は星川駅から西谷駅まで歩きました。 途中聴いたのは1938年生まれのバービソンの交響曲。 ジョン・ハービソンはニュージャージー州のオレンジで、 12月20日に生まれ、1954年16歳で 名誉あるBMI財団の学生作曲賞を獲得した。 バーバード大学で音楽を学…
昨日は二俣川から西谷駅まで歩きました。 鶴ヶ峰の旭図書館で本を借り、そこから西谷駅まで歩きました。 読書の秋でもあるし、久しぶりに本を借りて読んでみようと思った。 途中聴いたのは1910年生まれのバーバーの交響曲第1番。 彼の経歴については以前簡…
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。 途中聴いたのは1938年生まれのコリリアーノの交響曲。 父はニューヨーク・フィルのコンサートマスターを23年間つとめ、 母はピアニストであったということだから、 音楽家の環境の中に育ったということになる。 コロン…
昨日は朝に二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。 夕方は横浜から関内まで歩きました。 途中聴いたのは1894年生まれのピストンの交響曲。 ピストンの経歴については以前触れたので、ここでは省略する。 交響曲第6番は1956年に作曲された作品で、 ボストン交響…
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。 途中聴いたのは1925年生まれのガンサー・シュラーの交響曲。 シュラーは、10月22日にニューヨークで生まれ、 作曲は独学であったが、アメリカ前衛音楽の中心的人物として活躍した。 メトロポリタン歌劇場管弦楽団…
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。 途中聴いたのは1900年生まれのコープランドの交響曲。 アーロン・コープランドはロシア系ユダヤ人の子として、 ニューヨークに生まれ、14頃からピアノを学び、 その後フランスへ留学し、ナディア・ブーランジェなどに…
昨日は二俣川から三ツ境駅まで歩きました。 途中聴いたのは1906年生まれのポール・クレストンの交響曲。 ニューヨークに生まれた彼は、シチリア生まれの父を持ち、 本名はジュゼッペ・グットヴェッジョという。 作曲は独学だが、26歳の頃に作曲家を目指すよ…
昨日は自由が丘駅から外苑前駅まで歩きました。 自由が丘駅から目黒通りに入り、都立大学駅の先、 環七通りに入り、東横線沿いに歩き、学芸大学駅を通過し、 その先から五本木から駒沢通りに入り、 そのまま恵比寿駅を通過し、六本木通りに入り、 途中住宅街…
昨日は西谷駅から二俣川まで歩きました。 途中で聴いたのは1911年生まれのホヴァネスの作品。 マサチューセッツ州サマーヴィルで生まれた彼は、 幼い時期から作曲活動を始め、人々に注目され、 ニュー・イングランド音楽院でコンヴァースに師事した。 父がア…
昨日は西谷駅から二俣川まで歩きました。 途中で聴いたのは1899年生まれのドーソンの作品。 (CDの解説書では1898年生まれと書いてあるが、 1899年生まれがどうやら正しいようである。) 今回からは、交響曲北アメリカ編の補足版に入る。 アラバマ州アニス…
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。 途中で聴いたのは1935年生まれのギヤ・カンチェリの作品。 グルジアのトビリシに8月10日生まれた彼は、 CDの解説によると幼いころから音楽的な才能を発揮していたが、 音楽を職業とすることを決断したのは20代に入…
昨日は横浜から和田町まで歩きました。 途中で聴いたのは1917年生まれのユン・イサンの作品。 韓国の作曲家である彼の経歴については、以前触れたので省略する。 交響曲第2番は1984年3月21日から10月17日の間に作曲された。 第1楽章は、冒頭から打楽器が…
昨日は急な飲み会が入り、ウォーキングを休みました。 途中で聴いたのは1915年生まれのリルバーンの作品。 ニュージーランドの代表的な作曲家である彼の経歴については、 以前触れたので、ここでは省略したい。 交響曲第2番は1951年に作曲され、1959年初演…
昨日は二俣川から西谷駅まで歩きました。 今回からは、交響曲のその他の地域編に入る。 本日はアルメニアの作曲家をあげる。 途中で聴いたのは1929年生まれのテルテリアンの作品。 アゼルバイジャンのバクーに生まれたが、 アルメニア系であった一家は1951年…
昨日は二俣川から緑園都市を経由し、弥生台駅まで歩きました。 普段であれば、帰りは電車となるところだが、 希望が丘で買い物をする必要があったので、 そのまま、瀬谷柏尾道路に出て、三ツ境方面に向かい、 阿久和の交差点を右に曲がり、途中ガソリンスタ…
昨日は二俣川から小田急相模原駅近くの萬金餃子まで歩きました。 二俣川から三ツ境まで歩き、さらに瀬谷を過ぎてからは相鉄線沿いに歩き、 大和方向に向かい、大和駅の小田急線を超え、今度は右に曲がり、 小田急線に平行して相模大野方向に向かい、東名高速…
昨日は荻窪から西荻窪駅まで歩きました。 中央本線に並行する道をなるべく歩くようにして、 西荻窪駅まで歩き、駅前を通って、 ブラジル料理の店、コッポ・ド・ヂーア(copo do dia)にたどり着く。 モチモチ感のある焼きチーズを食べながら、赤ワインを飲む。…
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。 昨日聴いたのは1909年生まれのクリュズネルの交響曲第2番。 クリュズネルはあまり知られていないユダヤ人作曲家だ。 CDの解説書にはその知られなかった理由が書いてある。 1930年代から作曲家として注目されて…
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。 昨日聴いたのは1882年生まれのストラヴィンスキーの交響曲。 リムスキー=コルサコフに作曲法を学んだ彼は、 ディアギレフのロシア・バレエ団のための舞台作品を 数多く作曲することで名声を獲得していった作曲家であ…
昨日は久しぶりに会った人と短い時間飲んだので、 ウォーキングを休みました。 昨日聴いたのは1912年生まれのサルマノフの交響曲。 サルマノフはレニングラードに生まれた作曲家で、 理科と音楽を好んだため、大学も理科大学に進み、 卒業後24歳の時にレニン…