ガブリエル・フェルツ指揮のマーラー交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」を聴く
元旦はマーラーの交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」を聴きました。
聴いたCDはガブリエル・フェルツ指揮、独唱者はエミリー・ニュートン、
ミヒャエラ・カウネ、アシュリー・トゥーレのソプラノ、
マルクス・アイヒェのバリトン、カール=ハインツ・レーナーのバス、
ブラティスラヴァ・スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団、
ドルトムント合唱アカデミー少年合唱団、
ドルトムント・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるものである。
フェルツ指揮のマーラー交響曲全集を買って聴いているところだが、
ライブ録音によるこの演奏は全体としてみてもいい。
独唱者と合唱団と管弦楽との絡みは録音が優秀なこともあり、
鮮明にわかって申し分ないし、流れるように進行して、
マーラーの耽美的な音楽の世界に没入できる。
第2部も独唱者の歌声とそれを支える管弦楽団の演奏が素晴らしい。
神秘の合唱のあとの管弦楽と合唱との盛り上げていくところも
一糸乱れず完璧といえるような十分満足できる演奏である。
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今日は交響曲第3番、第4番と第7番から第9番まで、
オルフェオのライブ盤の中から聴きました。
1971年8月13日のラファエル・クーベリック指揮、
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるものである。
この演奏はゆったりとしたテンポで堂々と始まる。
力強さとともに各楽器のバランス感覚もいいと感じる。
第三楽章のホルンの力強い吹奏の音や、
第四楽章の弦楽器の中での旋律のやりとりも心地よい。
1969年8月17日のカール・ベーム指揮、
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるものである。
第一楽章は深遠な感じの序奏部に続き、軽快なテンポの主部に入る。
第二楽章以降も均整がとれた演奏が心地よく、
さすが安定感のある聴きやすい演奏である。
1967年5月5日のヨーゼフ・カイルベルト指揮、
第一楽章は速いテンポで推進力のある演奏であるが、
第二楽章もゆったりとはならず軽快なテンポは変わらない。
第三楽章は力強さと穏やかさの部分のコントラストがはっきりしている。
終楽章も一気に聴かせる生き生きとした迫力ある演奏である。
第一楽章はゆったりとしたテンポで聴かせる演奏である。
この演奏では低弦の動きが大きな意味を持ち、
それが独特のリズム感というかグルーヴを作り出している。
第二楽章以降も心地よいグルーヴ感である。
終楽章も各楽器の掛け合いの中で心地よいグルーヴが生まれる。
交響曲第9番ニ短調「合唱」作品125は1982年5月14日の録音で、
ヘレン・ドーナスのソプラノ、ブリギッテ・ファスベンダーのアルト、
ホルスト・ラウベンタールのテノール、ハンス・ゾーティンのバス、
および合唱団の演奏によるものである。
第一楽章や第二楽章の堂々とした迫力ある演奏に引き込まれていき、
第三楽章は対照的に平和に満たされるような穏やかな演奏、
そして、終楽章では歓喜の歌の旋律が現れてから、
その旋律を支える、ファゴットの演奏になぜか心を動かされた。
独唱者と合唱団と管弦楽が織りなす壮大な音楽が展開され、
これを聴くといよいよ今年も1年が終わるのかという気持ちになる。
クーベリックの第9の演奏は色々聴いてはいるが、
このライブ盤も最後のコーダまで一気にきかせ充実した演奏になっている。

さてここで、今年12月に行った旅行の続きについて少し触れます。
12月6日大洲城に行った翌日12月7日朝から松山城へ行きました。
松山城からみる街中の様子と、遠くに見える海の眺めは絶景である。
11時代の羽田行きの飛行機に乗らなければいけなかったので、
十分な時間はなかったが松山城を見学できたので満足できました。
オットー・クレンペラー指揮のベートーヴェンの交響曲第1番、第2番、第5番、第6番を聴く、そして大洲城への旅

年末なので今日と明日でベートーヴェンの交響曲を取り上げます。
今日は希望ヶ丘から鶴ヶ峰まで歩きました。
途中聴いたCDは、オットー・クレンペラー指揮、
フィルハーモニア管弦楽団の演奏によるもの。
木管楽器の音が良く聞こえるのに対し、
金管楽器の音は抑制されており、
作品のディテールがよくわかる演奏でいい。
次に聴いた交響曲第6番ヘ長調「田園」作品68も1957年の録音で、
弦楽器と木管楽器中心に自然に音楽が流れていく。
第4楽章は金管楽器と打楽器の音で激しくなるところだが、
音が抑えられており、おとなしい演奏ではないのですが、
とても各楽器の音のバランスがよい演奏である。
次に聴いた交響曲第2番ニ長調作品36も1957年の録音である。
木管楽器の音がよく聞こえてくる特徴がうまく生かされているのは、
平和で牧歌的な第二楽章の部分ではないかと思える。
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」は1959年の録音である。
各楽器の音のバランスの良さは第一楽章にもみられる。
第二楽章では、金管楽器や打楽器が鳴り響くところもあるが、
それによって弦楽器や木管楽器の音が聞こえなくなるわけではない。
第四楽章も冒頭から迫力のある演奏であり、
一方で各楽器の音を浮かびあがらせることで、
最後までベートーヴェンが意図する音楽として、
忠実に聴かせようという考えがみられる気がする。
さてここで、今年12月に行った旅行について少し触れます。
12月6日12時5分発の松山空港行きの飛行機に乗り、
そこから歩いて大洲城に行ってきました。
現在は復元されて見学できるようになっている。
見学時間が限られ、大洲城の天守以外を見ている余裕はなかったが、
目的は達成できたので、十分に満足できた一日でした。
そして、その後は松山に戻り、大衆酒場に行って食事をして、
温泉に行く余裕はありませんでしたが松山の夜を楽しみました。
ミェチスワフ・カルウォヴィチの交響曲ホ短調「復活」作品7を聴く、そして松本城への旅
今回は1876年生まれのポーランドの作曲家、
カルウォヴィチを取り上げます。
カルウォヴィチは、裕福な家に生まれ、
最初はヴァイオリン奏者になることをめざしていました。
1895年から1901年の間、ベルリンで学び、
ハンリク・ウルバンに作曲を師事しました。
のちにライプチヒでアルトゥール・ニキシュに指揮を学んだようだ。
帰国後の彼はポーランド音楽協会の役員として務め、
会長も務めたようだが、タトラ山脈でスキーをしている最中に、
雪崩に巻き込まれ若くして1909年亡くなったようだ。
今回聴いた曲は1901年から1902年にかけて作曲した、
聴いたCDは、アントニ・ヴィット指揮、
第一楽章アンダンテ-アレグロは、
重々しく引きずるような弦楽器の悲しげな旋律で始まり、
木管楽器がそれをなぐさめるかのように加わり、
やがて金管楽器も加わり盛り上がったあといったん静まる。
トランペットが鳴り響いた後、主部にはいり、
弦楽器による力強い主題が奏でられる。
もう一つの主題は弦楽器と木管楽器による穏やかな旋律である。
ロマンティックな旋律やドラマティックな部分は、
チャイコフスキーを思わせるところがある。
展開部ではこれらの主題が変形されていき、
その展開の技法としてはなかなか素晴らしい。
再現部を経て、各主題が現れ、金管楽器が盛り上げていき、
行進曲風に進んでいき、最後は力強く終わる。
第二楽章アンダンテ・ノン・トロッポは、
弦楽器の奏でる暗い感じの旋律で始まるが、すぐに明るさを取り戻し、
チェロ独奏による歌うような旋律が奏でられる。
そこにホルンや木管楽器が加わっていき、
情熱的な音楽に発展し、そのあといったん穏やかになる。
そのあとのクラリネットの独奏は味わい深い抒情的な旋律である。
再び弦楽器中心の音楽になり、そこに木管楽器や金管楽器が絡んでいく。
そのあと雄大な自然を思わせるような音楽になっていき、
最後は木管楽器と弦楽器で穏やかに終わる。
軽快で躍動感のある舞踏的な旋律で始まる。
中間部は弦楽器による抒情的な旋律で始まり、
木管楽器がそれに絡んでいく。
再び冒頭のスケルツォ主題が繰り返されて、
そのまま終楽章に続いていく。
第四楽章アレグロ・マエストーソ-アレグロ・ベン・モデラートは、
金管楽器のファンファーレのような音楽で始まり、
そのあと弦楽器中心に軽快で力強い旋律が奏でられる。
オーボエで始まるもう一つの主題は抒情的で、
それを弦楽器が引き継いでいき、
金管楽器も加わり情熱的な音楽になっていく。
そして、金管楽器がコラール風の旋律を奏でていく。
荘厳な感じの音楽は、そこでいったん終わり、
やや不安を示すような感じになるが、
再び冒頭の力強い旋律が弦楽器により奏でられ、
もう一つの主題も奏でられていく。
再び情熱的な感じが戻る中、金管楽器のファンファーレが鳴り、
ティンパニが鳴り響き、力強く旋律が奏でられ、
コラールも再び現れ、最後は力強く堂々とした感じで終わる。
いまさらですが8月16日松本城に行ってきたので、
その時のことを少しふれておきます。
八王子から特急あずさに乗り、昼前についたので、
若大将という店で昼食をとり、その後松本城に向かいました。
多くの観光客がいたので、入場制限をしており、
熱い中1時間くらいは待つことになりました。
木造の階段をのぼるにも階段の幅がせまいので、
お互いに道をゆずりあいながら階段をのぼり、
城の中を見学する感じでした。

ロイ・ハリスの交響曲第1番(交響曲1933)を聴く、そして宇都宮城址公園

先週の日曜日の9月15日には宇都宮に電車で行ってきました。
寿限無で餃子とラーメンを食べたあと宇都宮城址公園に行きました。
公園内を歩きながら、清明館など見学しました。
2時間ほどの滞在でしたが、十分に楽しめました。
今日は1898年生まれのアメリカの作曲家ロイ・ハリスが、
1933年に作曲された交響曲第1番(交響曲1933)を聴きました。
この作品は、セルゲイ・クーゼヴィツキ指揮、
ボストン交響楽団により1934年1月26日・27日に初演された。
今回聴いたCDは、ホルヘ・メスター指揮、
ルイヴィル管弦楽団の演奏によるもの。
第一楽章アレグロは、初演時の作曲者自身による解説によれば、
冒険心と活気に満ちた情熱を表現しようとしたようだ。
打楽器による荒々しい4つの音によるリズムで始まり、
荒涼とした風景のアメリカの風景を感じさせる。
力強い旋律で示される一つの主題と、
それとは対照的な抒情的な旋律による主題が現れ、
最後は冒頭の荒々しい旋律が再び現れ、
金管楽器も加わり、冒頭の4つの音が繰り返されて終わる。
第二楽章アンダンテは、作曲者自身による解説によれば、
人間の存在の根底に流れる悲哀の感情を表現しようとしているようだ。
遠い過去への思いを感じさせるような郷愁的な旋律が、
弦楽器によって奏でられていき、木管楽器も加わっていく。
一方で民族音楽を思わせるような旋律も現れ、
対照的な2つの部分をみせていき、最後は静かに終わる。
第三楽章マエストーソは、作曲者自身による解説によれば、
力強く行動する意志を表現しようとしたようである。
前に進んでいこうとする意志を示す推進力のある旋律が奏でられるが、
第一楽章にみられた打楽器による荒々しい音楽や、
第二楽章の抒情的な部分など様々な要素が現れ、
全楽章の統一感が見られ、金管楽器の吹奏や、
弦楽器の奏でる旋律に打楽器の荒々しさが加わって最後突然終わる。
アルフレド・カセッラ(カゼッラ)の交響曲第1番ロ短調作品5を聴く
1905年から1906年にかけて作曲した交響曲第1番ロ短調作品5を聴きました。
アルフレド・カセッラ(カゼッラ)はパリ音楽院で学び、
ピアノはルイ・ディエメに、作曲はガブリエル・フォーレに師事した。
第一次世界大戦後はイタリアに戻り、
サンタ・チェチーリア音楽院でピアノを指導したようだ。
聴いたCDは、フランチェスコ・ラ・ヴェッキア指揮、
ローマ交響楽団の演奏によるもの。
第一楽章レント、グラーヴェ-ピュア・モッソ-
テンポⅠ:ウン・ポコ・モッソは、
ゆったりとした重々しい前奏に続き、
歌うような旋律が弦楽器に現れる。
その旋律は、木管楽器、独奏ヴァイオリンにも引き継がれる。
そしてティンパニの音とともに金管楽器も加わり盛り上がり、
それが終わると穏やかになって、最後は静かに終わる。
第二楽章アダージョ、クワジ・アンダンテは、
ロシアの作曲家を思わせるような感傷的な旋律が低弦に現れる。
この旋律は、何度も繰り返されていき、
最初の5音がその後も執拗に現れ、最後力強く終わる。
第三楽章レント・モルト-ポコ・ピュ・モッソ-
アレグロ・ヴィーヴォ、エネルージコは、
弦楽器による幻想的な音楽で始まり、
そのあと金管楽器がコラールのように鳴り響き、
その後トランペットなどの金管楽器が、
力強く勇気を奮いたたせるような旋律を奏でていく。
このあたりはワグナーの音楽を想起させ、
とてもロマンティックで、力みなぎっている。
最後は、再び幻想的な雰囲気の中、穏やかに終わる。
それにしてもカセッラ(カゼッラ)の交響曲はなかなかいい。
アーロン・コープランドの「インスケープ」を聴きながら、二俣川から静岡まで電車に乗って行く
そこから東海道線に乗り静岡まで行きました。
そして、駿府城公園まで歩き、東御門・巽櫓や、
紅葉山庭園、坤櫓や、天守台発掘調査現場など見学しました。

そのあとは、スペイン料理の店サングリア鷹匠店に寄り、
セビリアランチを注文し、昼食をとった。
海老のカタラン風は初めて食べたのですが、
とにかくおいしかったので、満足できました。
帰りも東海道線に乗り、小田原で小田急線に乗って海老名まで、
そのあとは相鉄線に乗り、二俣川駅には6時前に着きました。
昨日は電車の中で聴いたのは1900年アメリカ生まれのコープランドが、
1967年に作曲された「インスケープ」を聴きました。
聴いたCDは、レナード・バーンスタイン指揮、
ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏によるもの。
不協和音で始まり、木管楽器と弦楽器がそのあと引き継ぎ、
静寂さと荒涼とした世界が不協和音の響きも伴って描かれる。
曲のタイトルはイギリスの詩人ジェラード・マンリー・ホプキンスの作品から、
曲は三部形式から成っているようだが、なかなかの大作である。
アメリカ合衆国の中の荒涼とした土地と大都会の喧騒を
対比して感じさせるような緊張感が最後まで持続する作品である。