2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧
昨日は外苑駅から渋谷駅までを往復しました。 外苑駅近くのZ-Imagineのライブを聴きに行ったのだが、 まだ開店前だったので、渋谷のタワーレコードに行き、 CDを2つ買い、Z-Imagineへ戻ったのだが、 小雨の中、ライブの始まる直前に何とか到着した。 途中…
昨日は横浜から星川駅まで歩く。 途中聴いたのはヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハの作品。 ドイツ・オーストリア編の補足の終わりにかけて、 ここではバッハ一族の作曲家をとりあげてみたい。 今回のヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハは、 …
昨日は、横浜から星川駅まで歩きました。 途中聴いたのは1926年生まれのヘンツェの作品。 ノルトライン=ヴェストファーレン州の ギュータースローで生まれた彼は、 ハイデルベルクの音楽大学で学び、 フォルトナーやレーボヴィッツに師事した。 最初は12音…
昨日は、鶴ヶ峰駅から和田町まで歩きました。 途中聴いたのは1941年生まれのゴルドマンの作品。 作曲家および指揮者として活躍した彼は、ドイツのケムニッツである。 ドレスデン聖十字架合唱団に入団していた1950年代に最初の作品を作曲し、 1950年代の終わ…
昨日は、西谷駅から二俣川まで歩きました。 途中聴いたのは1900年生まれのクシェネクの作品。 彼はウィーンに生まれたチェコ系の作曲家である。 ウィーンで16歳の頃からシュレーカーに師事し、 ベルリン高等音楽学校(高等音楽院)に、 シュレーカーが赴任す…
昨日は、二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。 途中聴いたのは1852年生まれのフーバーの作品。 以前レコード店で交響曲全集を見つけ、 どんな作曲家なのか知らないものの興味本位で買ってみた。 今回はそのうちの一曲を聴いてみることにした。 フーバーはスイ…
昨日は1月で閉店となる和田町のけいこ食堂に、 大学院時代よく飲んでいた三人で飲みに行った。 横浜から和田町まで歩いた時にちょうど寄り道のできる いい雰囲気のお店であったのに、なくなるのは残念である。 昨日は、二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。 …
昨日は、横浜から星川駅まで歩きました。 途中聴いたのは1869年生まれのプフィッツナーの作品。 彼の略歴に関しては、器楽曲・室内楽曲編で触れたので省略する。 指揮者としても活躍した彼は、保守的な作風で知られている。 交響曲ハ長調作品46は、1940年に…
昨日は、横浜から和田町まで歩きました。 途中聴いたのは1887年生まれのトッホの作品。 ウィーンのユダヤ人家庭に生まれた彼は、 フランクフルトで哲学や医学を学び、音楽は独学であった。 第一次世界大戦にも従軍し、マンハイム音楽学校(音楽大学)で、 作…
昨日は、飲み会がありましたのでウォーキングは休みました。 とはいえ、横浜から星川駅まで歩いたような気もします。 途中聴いたのは1883年生まれのウェーベルンの作品。 ユダヤ人作曲家としては、トッホをあげないといけないのだが、 これは次回触れるとし…
昨日は、二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。 途中聴いたのは1874年生まれのシェーンベルクの作品。 ウィーンで生まれた彼は、ユダヤ人の両親を持ち、 8歳の頃からヴァイオリンを習い、チェロを独学で学んだ。 ツェムリンスキーに師事した彼は、12音技法の…
昨日は、星川駅から横浜まで歩きました。 途中聴いたのは1897年生まれのコルンゴルトの作品。 音楽批評家を父に持つ彼は、チェコのブルノで生まれ、 幼い時期から神童ぶりを発揮し、11歳に無言劇「雪人形」を作曲し、 1910年にウィーン宮廷歌劇場で上演され…
昨日は、二俣川から西谷駅まで歩きました。 途中聴いたのは1860年生まれのマーラーの作品。 ボヘミア出身の彼は、ユダヤ人の作曲家であり、 ドイツ・オーストリアで指揮者・作曲家として活躍した。 だからここではドイツ・オーストリア編でとりあげておく。 …
昨日はウォーキングを休みました。 今回取り上げるのは、1900年生まれのワイルの作品。 クルト・ワイルはデッサウで生まれた作曲家である。 「三文オペラ」の作品で有名な彼は、8歳から音楽を学び、 プフィッツナーの弟子アルバート・ビングに師事した。 ベ…
昨日はまちあるきガイドマップにあるコースを歩きました。 鶴見橋を渡る頃には夕方の5時を過ぎていました。 所要時間は3時間と書いてあったが、 もちろんそれはゆっくり見学してのこと。 ただ見学地の所在を確認しただけだったので、 約50分くらいで回るこ…
昨日は、横浜から和田町まで歩きました。 途中聴いたのは1739年生まれのヴァンハルの作品。 ヨハン・バプティスト・ヴァンハルは、ボヘミア出身の作曲家で、 チェコ名ではヤン・クシュチテル・ヴァニュハルとなるようだが、 ウィーンに住んでからは、ウィー…
昨日は、二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。 途中聴いたのは1756年生まれのモーツアルトの作品。 ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトは、 有名な作曲家なので、いまさら略歴等に触れるのは省略する。 交響曲第21番イ長調K.134は1772年に作曲された作…
昨日は、横浜から星川駅まで歩きました。 途中音楽を聴きながらと思ったら、電池切れのために聴けなかった。 今回取り上げるのは1734年マンハイム生まれのベックの作品。 18世紀に活躍した彼は、オーボエ奏者でプファルツ選帝侯の宮廷の 聖歌隊の学校長を務…
昨日は、横浜から和田町駅まで歩きました。 途中聴いたのは、1734年生まれのオルドネツの交響曲。 18世紀にウィーン中心に活躍した彼は、 貴族でも低い階層の出身だったようだ。 リッターアカデミーで学び、ウィーン大学で法律を学び、 楽団のヴァイオリン奏…
昨日は、横浜駅から中華街まで歩きました。 途中聴いたのは、1824年生まれのブルックナーの交響曲。 昨日は新年会が昼と夜にあり、あわただしい一日であった。 交響曲第2番ハ短調は1871年から1872年の間に作曲された。 高校時代にはよくホルスト・シュタイ…
昨日は、西谷駅から希望が丘駅まで歩きました。 昨日聴いたのは、1886年生まれのフルトヴェングラーの交響曲。 指揮者として有名な彼は、3つの交響曲を作曲している。 交響曲第2番ホ短調は1941年から1945年に作曲された。 長大な交響曲であり、80分を超え…
昨日も飲み会があったため、ウォーキングを休みました。 ここのところ新年会や反省会など飲み会が続く。 藤沢にあるフランス料理の店ビストロ・ラ・シャンブルで、 コース料理を食べたが、料理の品数も多く、おいしかった。 カキにチーズをのせてオーブンで…
昨日は飲み会のため、ウォーキングを休みました。 昨日聴いたのは、1739年生まれのディッタースドルフの交響曲。 カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフは、 ウィーンに生まれ、ハイドンやモーツアルトと同時代に活躍した。 交響曲については100…
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。 途中聴いたのは、1731年生まれのカンナビヒの交響曲。 クリスティアン・カンナビヒは、マンハイムに生まれ、 父親は、オーボエ、フルート奏者として活躍する音楽家であった。 シュターミッツにヴァイオリンを師事…
昨日は西谷駅から希望が丘駅まで歩きました。 途中聴いたのは、1737年生まれのミヒャエル・ハイドンの交響曲。 ミヒャエル・ハイドンは、ヨーゼフ・ハイドンの弟で、 オーストリアに生まれ、音楽を学んだウィーンと、 宮廷楽長をつとめたザルツブルクの2つ…
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。 途中聴いたのは、1732年生まれのハイドンの交響曲第45番。 交響曲第45番嬰ヘ短調「告別」は、1772年に作曲された。 エステルハージ侯に対して、楽団員の帰宅を認めるように、 働きかけるためにユーモアをもってこの作…
ベートーヴェンの交響曲シリーズに続き、 本日から交響曲ドイツ・オーストリア編の補足に入る。 昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。 途中聴いたのは、1784年生まれのリースの交響曲第4番。 フェルディナント・リースは、ボンに生まれた作曲家で、 音…
正月気分もそろそろ終わりなので、テンプレートを変えました。 昨日は二俣川から湘南台駅まで歩きました。 久しぶりに2時間半近く歩き、少し身体的に疲れた。 途中聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第4番。 交響曲第4番変ロ長調作品60は、1806年に作曲…
昨日は二俣川から三ツ境駅まで歩きました。 途中聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第5番。 交響曲第5番ハ短調作品67「運命」は、 1805年から1808年にかけて作曲された。 今回はチューリヒ・トーンハレ管弦楽団を、 デイヴィッド・ジンマンが指揮したCD…
元旦は二俣川から西谷駅まで歩きました。 途中聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第2番。 交響曲第2番ニ長調作品36は、 1801年から1802年にかけて作曲され、 翌年4月5日にはウィーンで初演されている。 興味深いことは第一楽章・第二楽章に比べて、 第…