昨日も横浜から鶴ヶ峰まで歩いた。
二俣川まで歩くつもりではあったが、
鶴ヶ峰付近で雨が降り始めたため、鶴ヶ峰で電車に乗った。
昨日歩きながら聴いた曲はステンハンマルの交響曲第2番である。
1871年スウェーデン生まれの彼は、
ラングストレムと同じ頃に活躍した作曲家で、
ロマン派らしい作風で、シベリウスの影響を感じる。
1回この交響曲を聴いた時にはあまり印象が薄かったが、
改めて聴いてみると北欧らしい魅力のあふれた音楽であることが分かる。
第一楽章の弦楽器や木管・金管楽器の扱い方をみると、
シベリウスの交響曲から影響を受けていることが感じとれる。
もちろん旋律からしてスウェーデンの民謡などを使っているらしく、
典型的な北欧音楽の魅力あふれた楽章である。
ロマンティックでありながら、それに溺れることなく、
主題をもとに展開を行い、曲の構造はしっかりしている。
第二楽章のアンダンテもしみじみと心に浸みてくる音楽である。
素朴な民謡の旋律を変奏曲的な手法も使い、展開している。
第三楽章のスケルツォの主題も民謡的な舞曲で、
北欧らしい魅力にあふれている。
中間部のトリオの室内楽的な響きと弦楽器全体とのかけあいもいい。
なんとなく、ブラームスを感じさせるところもある。
主題が再び登場するが同じ形ではなく、
変形させて登場するのもなかなかである。
第四楽章の終曲の最初からからはじまるサウンドは、
シベリウスの交響曲第5番を思わせるようであるが、
そのままいくのかと思わせる最初の期待を裏切り、
それにこだわることなくフーガによる手堅い主題の展開が始まる。
でもまたそのままいくわけではなく静寂な音楽に変わり、
あのフーガ的な展開はどうしたんだというくらいに別な音楽に変わる。
そうかと思うと徐々にまたフーガ的な音楽が始まり、
この辺の手法がなぜかヴォーン・ウィリアムズの交響曲を思わせ、
一方でこの主題の一部がフーガで展開されていくと
なぜかマーラーの交響曲第7番第5楽章の第一主題の一部が、
ロンド形式で展開されていく時のものと似て聞こえしまう。
しかも終わり方はこれで終わってしまうの?という終わり方である。
聴き手の期待を裏切り、はぐらかすステンハンマルの交響曲、
この四楽章だけでも聴き方によって面白みが増す。
ステンハンマルはただものではない。