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おおくぼっち(大久保っち)です。話題はハーバーフェルトトライベンや音楽、ウォーキング、城の魅力などです。

ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエルの交響曲第5番、グーグルの道、そして上田自由大学運動と土田杏村

大学時代に卒業論文で書いた上田自由大学運動の概略について、
私のホームページ「大久保っちのちっちゃな研究室」で載せました。
このころはなかなか一次資料が見つからず、その方法も分からなかったので、
ここで載せた内容のものは研究としては未熟なものです。
いまではインターネット上で一次史料のありかが分かるのですごいと思います。
機会があれば、この運動に関して新しいテーマを決めて研究したいものだ。
とはいえ、土田杏村と上田小県地域の農民青年を中心に
大正時代の上田中心に行われた自由大学の構想とその運動の広がりについて、
その概略を知ることができると思うので参考にしていただければ幸いです。

さて、グーグルでルート検索をすると、電車を使った経路が表示される。
これが普通なのだが、右に徒歩で歩く場合のルートを示すボタンがある。
今まで知らないでいたのだが、それを押すと最短距離の道が示される。
ちなみに片倉町から横浜までを検索するとどうなるかをやってみた。
4.1kmのコースで、自分が普段使わないルートを示したので、
そのルートで歩いてみることにしたが、実際に歩いてみると、
アップダウンが多く、しかも道を間違え、迷うこともあり、
大幅なロスタイムができ、50分を超えてしまった。
とはいえ、普段は歩くことのない三ツ沢墓地付近を歩くなど、
新しい発見もあり、こういうのも面白いものである。
こんどもう一度チャレンジしてみようかと思った。

その片倉町から横浜間を歩く間、途中聴いた曲は、
1867年生まれのヴィルヘルム・ペッテション=ベリエルの作品である。
スウェーデンの作曲家である彼の略歴は以前触れたので省略する。
交響曲第5番ロ短調「孤独」は、1932年から1933年にかけて作曲された。
ここには1930年春に彼がストックホルムでの音楽生活に終止符を打ち、
フレースエーの別荘に永住するようになって味わった少しの孤独感が、
作品のタイトルと関連性があるのではないかと解説では書かれている。
確かに華やかな音楽生活から離れ、人と接することが少なくなったことの
作曲者自身の孤独感が見え隠れはするが、そのフレースエーでの永住生活を
彼自身が楽しみながら、生きていこうとする肯定的な部分を見ることができる。
初演は翌34年の4月11日に作曲者自身の指揮で、
スウェーデン・コンサート協会の管弦楽団の演奏で行われたようだ。
聴いたCDはミハイル・ユロフスキ指揮、ノールショッピング交響楽団の演奏。
第一楽章コン・モルト・トランクィロは、
弦楽器のみで始まる短い序奏に続き、管楽器が主題を奏で、
それを他の楽器が繰り返していくが、やや悲しげな旋律。
もう一つの主題は弦楽器によって奏される叙情的な旋律。
これらの主題を中心に展開されるが、北欧の自然を感じさせてくれる。
再現部のあとは、管楽器がのどかな感じを示しながら、
盛り上がりをみせたあとは、最後静かに終わる。

第二楽章スケルツァンド・ヴィーヴォ、デリカティッシモ
アレグロモデラートは、三つの動機が中心となっている。
弦楽器に続き管楽器が加わり、軽快でかわいらしい感じの旋律が現れる。
もう一つは金管楽器も加わった華やかな感じの旋律で、
もう一つは管楽器中心に現れる民謡風の明るい旋律である。
この楽章の最後は冒頭の動機が現れて終わる。
第三楽章アンダンテ・トランクィロ-アタッカは、
オーボエが奏する主題は物悲しく、作曲者の孤独感が現れている。
ひとりぼっちという感じのこの感傷的な旋律は弦楽器全体でも奏される。
でも、ただ寂しいだけではなく、そこにはフレースエーの自然が、
表現されている感じもあり、ただ孤独というだけでは終わっていない。
最後は静まったあとそのまま次の楽章に切れ目なく続く。
第四楽章アレグロモルト-アンダンテ・モルト・トランクィロは、
軽快で激しい舞踏風の旋律で始まり、明るく勇ましい雰囲気である。
孤独な生活を選んだ彼の選んだ道へのそれは肯定を示している感じである。
もう一つはかわいらしい感じの美しい旋律が奏される。
それはフレースエーの美しい自然を表現しているかのようでもある。
再び最初の勇ましい感じの舞踏風の旋律が現れ、盛り上げていく。
最後はハープと弦楽器が残り、美しい自然を描写しながら静かに終わる。