カレヴィ・アホの交響曲第12番「ルオスト」を聴きながらおやすみ
昨日は、飲み会だったのでウォーキングを休みました。
前日にCDを新星堂で大量に買ったのだが、
帰ってからそれをどこかに置き忘れたことに気づき、
その前日に飲んだ店に回り、CDを置き忘れてないかを聞いた。
するとどの店の人も持って帰りましたよとの返事。
もしかして相鉄線の電車の中に置き忘れたのかと思い、
忘れ物のコーナーに行って新星堂の袋に入ったCDのことを
尋ねてみると、奇跡的ではあるが、忘れ物として届いていた。
本当によかったなと思い、自分の失態を反省した。
さて帰ってからそのCDの中の一枚を聴いた。
1949年フィンランド生まれのカレヴィ・アホの作品である。
フィンランド南部の町フォルッサに3月9日生まれた彼は、
10歳の頃からヴァイオリンを習い、作曲も始め、
シベリウス音楽院でラウタヴァーラに作曲法を師事した。
卒業後1971年から1972年の間には、
ベルリンでボリス・ブラッハーに作曲を師事した。
1974年から1988年の間はヘルシンキ大学音楽理論を講義し、
1988年から1993年の間はシベリウス音楽院の教授を務めた。
そのようなことがCDの解説書には書いてある。
交響曲第12番「ルオスト」は2002年から2003年の間に作曲され、
フィンランドの中のラップランドにあるルオスト山の斜面で
演奏するために作曲されたユニークな作品である。
2つの管弦楽団と独唱者によって演奏される。
第一楽章「シャーマンたち」は、左右に分かれた太鼓の連打で始まる。
金管楽器の吹奏が入り、粗野で原始的なイメージが作られる。
そのあとは管弦楽により雄大な自然を描写するような音楽が流れる。
その後打楽器群が金管楽器とともに荒々しい音楽を展開していく。
第二楽章「冬の夜と真夏」は、ラップランドの冬の暗い闇の世界を
金管楽器などで描写するかのような音楽だが、
その色のない暗闇の世界から変化し、色彩感のある真夏へと
向かっていくように管弦楽の作り出す音色が変化していく。
最後はホルンとオーボエによって牧歌的な雰囲気の中で静かに終わる。
第三楽章「丘の上の歌」は、テノール独唱から始まり、
サクソフォーンの独奏に乗り、ソプラノ独唱が加わり、
二人の独唱者による歌詞のないヴォカリースで、掛け合いが続く。
管弦楽だけの部分と、独唱が入る部分が交互に登場し、
曲は進行していくが、第四楽章の嵐を予感させるような
激しく荒々しい音楽が楽章の最後で管弦楽によって演奏される。
第四楽章「丘の上の嵐」は、嵐の到来の予兆が太鼓によって描写され、
やがてそれは強さを増し、本格的な嵐が到来するのが表現される。
独唱も加わり、管弦楽は嵐が巻き起こす突風を表現し、
荒れ狂う嵐をこれでもかというくらいに表現している。
その嵐がおさまるとホルンによる吹奏を合図に独唱者と
サクソフォーンによりのどかな高地の平和な世界が表現され、
最後は静かに消えるように終わる。
前日にCDを新星堂で大量に買ったのだが、
帰ってからそれをどこかに置き忘れたことに気づき、
その前日に飲んだ店に回り、CDを置き忘れてないかを聞いた。
するとどの店の人も持って帰りましたよとの返事。
もしかして相鉄線の電車の中に置き忘れたのかと思い、
忘れ物のコーナーに行って新星堂の袋に入ったCDのことを
尋ねてみると、奇跡的ではあるが、忘れ物として届いていた。
本当によかったなと思い、自分の失態を反省した。
さて帰ってからそのCDの中の一枚を聴いた。
1949年フィンランド生まれのカレヴィ・アホの作品である。
フィンランド南部の町フォルッサに3月9日生まれた彼は、
10歳の頃からヴァイオリンを習い、作曲も始め、
シベリウス音楽院でラウタヴァーラに作曲法を師事した。
卒業後1971年から1972年の間には、
ベルリンでボリス・ブラッハーに作曲を師事した。
1974年から1988年の間はヘルシンキ大学音楽理論を講義し、
1988年から1993年の間はシベリウス音楽院の教授を務めた。
そのようなことがCDの解説書には書いてある。
交響曲第12番「ルオスト」は2002年から2003年の間に作曲され、
フィンランドの中のラップランドにあるルオスト山の斜面で
演奏するために作曲されたユニークな作品である。
2つの管弦楽団と独唱者によって演奏される。
第一楽章「シャーマンたち」は、左右に分かれた太鼓の連打で始まる。
金管楽器の吹奏が入り、粗野で原始的なイメージが作られる。
そのあとは管弦楽により雄大な自然を描写するような音楽が流れる。
その後打楽器群が金管楽器とともに荒々しい音楽を展開していく。
第二楽章「冬の夜と真夏」は、ラップランドの冬の暗い闇の世界を
金管楽器などで描写するかのような音楽だが、
その色のない暗闇の世界から変化し、色彩感のある真夏へと
向かっていくように管弦楽の作り出す音色が変化していく。
最後はホルンとオーボエによって牧歌的な雰囲気の中で静かに終わる。
第三楽章「丘の上の歌」は、テノール独唱から始まり、
サクソフォーンの独奏に乗り、ソプラノ独唱が加わり、
二人の独唱者による歌詞のないヴォカリースで、掛け合いが続く。
管弦楽だけの部分と、独唱が入る部分が交互に登場し、
曲は進行していくが、第四楽章の嵐を予感させるような
激しく荒々しい音楽が楽章の最後で管弦楽によって演奏される。
第四楽章「丘の上の嵐」は、嵐の到来の予兆が太鼓によって描写され、
やがてそれは強さを増し、本格的な嵐が到来するのが表現される。
独唱も加わり、管弦楽は嵐が巻き起こす突風を表現し、
荒れ狂う嵐をこれでもかというくらいに表現している。
その嵐がおさまるとホルンによる吹奏を合図に独唱者と
サクソフォーンによりのどかな高地の平和な世界が表現され、
最後は静かに消えるように終わる。