昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
午後は渋谷のバルキーニョに行くため、朝方歩きました。
途中聴いたのは1872年生まれのヴォーン・ウィリアムズの作品。
彼の略歴については以前触れたので省略する。
「ウェンロック・エッジで」は、1909年に作曲された。
アルフレッド・エドワード・ハウスマンが手がけ、1896年に出版された
『シュロップシャーの若者』という63の詩からなる連作の詩を
テキストに使い、6曲を作品にしたもので、シュロップシャーから
ロンドンに出て愛や苦悩に満ちた若者の声が表現された詩のようである。
ウェンロック・エッジのエッジ(Edge)というのは丘陵の意味で、
シュロップシャーにあるウェンロックの丘陵地帯を意味するようだ。
今回聴いたのはテノールと管弦楽によるものである。
聴いたCDは、ロバート・ティアーのテノール、
サイモン・ラトル指揮、バーミンガム市交響楽団の演奏による。
第一曲「ウェンロック・エッジで」は、
丘陵地帯の変化する自然の様子を管弦楽が描写し、
テノールが歌う歌詞の中にもその自然について歌われるが、
古くローマ軍の時代のことにまで触れられ、奥の深い内容となっている。
第二曲「ずっと、夕方から朝まで」は、おだやかな旋律を
テノールが歌い、牧歌的でありながら、神聖な感じをもあたえる曲だ。
第三曲「僕の馬たちは耕しているのか」は、
やさしい弦楽器の伴奏に乗り、テノールが歌う。
遠くからホルンが響き、途中から少しドラマティックな感じになり、
ドビュッシーやラヴェルなど印象派音楽を感じさせる伴奏である。
若くして亡くなった若者と友人の対話となっているこの曲は、
いつもと変わらない田園の風景と、
遠くから聞こえる亡くなった若者の声をうまく描写しているようでもある。
第四曲「おお、僕が君を愛していた時」は、
テノールが牧歌的で民謡風の旋律を歌い、短い曲である。
第五曲「ブレドンの丘」は、神秘的な雰囲気を管弦楽が醸し出し、
その印象派風の音楽の伴奏に乗り、テノールが歌う美しい曲である。
昨年夏の幸せだった時の思い出と現実が対比される曲で、
教会の鳴り響く鐘の音がうまく表現されている感じがする。
第六曲「クラン」も牧歌風の美しい旋律の歌で、
最後は弦楽器のソロのやりとりが続き、消え入るようにして終わる。