スカルソープの「アース・クライ」を聴きながら、今の地球の環境を考える
昨日は、西谷から大倉山駅まで2時間近く歩きました。
途中聴いたのは、ペーター・スカルソープの曲。
オーストラリアのタスマニアのロースセストンに、
1929年生まれた彼は、地元教会の
グラマー・スクールに進み、メルボルン大学で学び、
オックスフォード大学ワッドハム・カレッジを卒業したようだ。
その後は世界中のさまざまな教育機関や大学で教え、
タスマニア、メルボルン、サセックス、グリフィスの大学から、
名誉博士号を与えられているようだ。
彼の音楽は、インドネシアや日本の影響を受けているようで、
確かに彼の作品には日本の雅楽を思わせる部分もある。
1970年の大阪万博の際には、
彼は「太陽の音楽」という作品を作曲した。
これはオーストラリアから日本への音楽の贈り物だそうだ。
「アース・クライ」は1986年に作曲された。
ディジェリドゥーというアボリジニの楽器と、
オーケストラによって展開されるこの曲は、
作曲者自身が書いたCDの英文の解説によると、
4つの部分から構成される曲は、速く儀礼的な音楽と、
自然が嘆願するような遅い音楽と、
長いコーダで作られているようだ。
アボリジニが数千年もの間にしてきたように、
大地からの叫びに耳を傾け、我々自身がその大地と
調和する必要があると彼は訴えている。
人間が行ってきた環境破壊などを行った結果、
この地球に今、起こっていることに注意せよ、
そして大地の叫びに耳を傾けよということだろうか。
曲自体は難解ではなくわかりやすいし、主題もあるが、
シリアスな内容を持ったメッセージ性のある音楽である。
この曲は、民族楽器と管弦楽が共演するとはいっても、
それがその地域の音楽性を示すといったものではない。
もっと普遍的な、人類全体に関わる重大な問題を、
常に自然と向き合ってきたアボリジニの声(楽器)を通して、
我々人類全体に訴えかけているということなのだろう。
ディジェリドゥーの音が大地の悲鳴に聴こえてくる。
「メメント・モリ」は1993年に作曲された作品で、
これもメッセージ性の高い作品である。
「メメント・モリ」は「死を想え」という意味であるが、
これは警告的な意味を持っていると考えていいだろう。
冒頭からグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律が繰り返される。
この旋律はベルリオーズの幻想交響曲の終楽章で
頻繁に登場する主題になっているので聴けばすぐわかる。
作曲者本人の解説では、そのグレゴリオ聖歌が、
天文学者ケプラーのいう前提に基づいていると
書かれている(いわゆる「天体の音楽」のことか)ようだが、
それは分からないが、ともかくグレゴリオ聖歌の主題と
その他の主題をもとに音楽は展開されていく。
時折現われるグレゴリオ聖歌は、
我々に対する警告のように聴こえる。
この作曲者自身は曲の解説で、イースター島の歴史に触れ、
この島がこの惑星(地球)にとってメメント・モリであるという。
つまり、この作品では過去にモアイの像を製作し、
設置するために森林を伐採し、環境破壊をした結果、
森林を失ったイースター島の住民の歴史に触れる。
しかしそこで起きた過去の事実が問題なのではない。
要は、我々人類の身にも彼らと同じようなことが、
起きうるかもしれないということを問題としている。
だから、「メメント・モリ(死を想え)」なのであり、
これは楽しい音楽だなんていって聴いていられないのである。
何か自分にできることは何かできることがあるのか。
仮にそれが出来たとしてやったことに意味があるのか。
我々は今の地球環境を十分に知っているわけではない。
理解力が及ばない中でもがいている一本の葦にすぎない。
もう手遅れということはないだろうか?
2つの曲は急げというメッセージを送っているのだろう。
現代の作曲家が扱うテーマも、
ついに地球規模になってきた。
なお、今回の管弦楽曲その他の地域編に関するCDの情報は、
私のHPの以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/ongaku-kenkyu.html
参考にしていただければ幸いです。
途中聴いたのは、ペーター・スカルソープの曲。
オーストラリアのタスマニアのロースセストンに、
1929年生まれた彼は、地元教会の
グラマー・スクールに進み、メルボルン大学で学び、
オックスフォード大学ワッドハム・カレッジを卒業したようだ。
その後は世界中のさまざまな教育機関や大学で教え、
タスマニア、メルボルン、サセックス、グリフィスの大学から、
名誉博士号を与えられているようだ。
彼の音楽は、インドネシアや日本の影響を受けているようで、
確かに彼の作品には日本の雅楽を思わせる部分もある。
1970年の大阪万博の際には、
彼は「太陽の音楽」という作品を作曲した。
これはオーストラリアから日本への音楽の贈り物だそうだ。
「アース・クライ」は1986年に作曲された。
ディジェリドゥーというアボリジニの楽器と、
オーケストラによって展開されるこの曲は、
作曲者自身が書いたCDの英文の解説によると、
4つの部分から構成される曲は、速く儀礼的な音楽と、
自然が嘆願するような遅い音楽と、
長いコーダで作られているようだ。
アボリジニが数千年もの間にしてきたように、
大地からの叫びに耳を傾け、我々自身がその大地と
調和する必要があると彼は訴えている。
人間が行ってきた環境破壊などを行った結果、
この地球に今、起こっていることに注意せよ、
そして大地の叫びに耳を傾けよということだろうか。
曲自体は難解ではなくわかりやすいし、主題もあるが、
シリアスな内容を持ったメッセージ性のある音楽である。
この曲は、民族楽器と管弦楽が共演するとはいっても、
それがその地域の音楽性を示すといったものではない。
もっと普遍的な、人類全体に関わる重大な問題を、
常に自然と向き合ってきたアボリジニの声(楽器)を通して、
我々人類全体に訴えかけているということなのだろう。
ディジェリドゥーの音が大地の悲鳴に聴こえてくる。
「メメント・モリ」は1993年に作曲された作品で、
これもメッセージ性の高い作品である。
「メメント・モリ」は「死を想え」という意味であるが、
これは警告的な意味を持っていると考えていいだろう。
冒頭からグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律が繰り返される。
この旋律はベルリオーズの幻想交響曲の終楽章で
頻繁に登場する主題になっているので聴けばすぐわかる。
作曲者本人の解説では、そのグレゴリオ聖歌が、
天文学者ケプラーのいう前提に基づいていると
書かれている(いわゆる「天体の音楽」のことか)ようだが、
それは分からないが、ともかくグレゴリオ聖歌の主題と
その他の主題をもとに音楽は展開されていく。
時折現われるグレゴリオ聖歌は、
我々に対する警告のように聴こえる。
この作曲者自身は曲の解説で、イースター島の歴史に触れ、
この島がこの惑星(地球)にとってメメント・モリであるという。
つまり、この作品では過去にモアイの像を製作し、
設置するために森林を伐採し、環境破壊をした結果、
森林を失ったイースター島の住民の歴史に触れる。
しかしそこで起きた過去の事実が問題なのではない。
要は、我々人類の身にも彼らと同じようなことが、
起きうるかもしれないということを問題としている。
だから、「メメント・モリ(死を想え)」なのであり、
これは楽しい音楽だなんていって聴いていられないのである。
何か自分にできることは何かできることがあるのか。
仮にそれが出来たとしてやったことに意味があるのか。
我々は今の地球環境を十分に知っているわけではない。
理解力が及ばない中でもがいている一本の葦にすぎない。
もう手遅れということはないだろうか?
2つの曲は急げというメッセージを送っているのだろう。
現代の作曲家が扱うテーマも、
ついに地球規模になってきた。
なお、今回の管弦楽曲その他の地域編に関するCDの情報は、
私のHPの以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/ongaku-kenkyu.html
参考にしていただければ幸いです。